2010年6月7日月曜日

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鈴鹿8時間耐久オートバイレース 〜 第2話

85年のスタートシーン。ウイリーするW.ガードナーの後方では、K.ロバーツはまだ押しかけ中だ。

台風の影響でレースが6時間に短縮された82年。鈴鹿に集まった多くの観客に、思わぬトラブルが待ち受けていた。プロ中のプロでさえまともに走れない大雨は、東海,関東の大動脈東名高速道路にも影響を与えた。翌日の出勤に向け多くの観客が、首都圏目指して東名高速へ向かったが、到着時間は大幅に遅れてしまった。
これほどの大変な思いをしても、8耐の人気は落ちるどころか観客数は、右肩上がりを記録した。それはバイクの生産台数からも理解できる。83,84年頃は生産台数がピークを向かえ、年間330万台〜340万台を数えるほどになった。バイクが当たり前のように、しかも自然体で街中を走り、トレールバイクにはクルマの屋根を見下ろせるモデルもあったほどだ。当然ライダー仲間では8耐に行くかどうかが、夏休みの話題にもなっていた。
観客数については、正式な数字はなかなか聞こえてこないが、当時はむしろ少なく発表していたのではないだろうか。公式発表された13万人、16万人といった観客数だけを見ても、今日ではとても考えられない大きな数字だ。

チケットブースが浮き上がるほど、多くの観衆がチケットを求め窓口に詰めかけた。

話を8耐のレースに戻そう。83年の第6回から大会名称が「コカコーラ鈴鹿8時間耐久オートバイレース」となり、世界選手権の第2戦に組み込まれた。また84年の第7回ではレギュレーションの変更で、排気量の上限をこれまでの1,000ccから750ccへスケールダウンとなった。      
ホンダはRS750Rでワークスを5チーム用意し、ワークスチーム同士のトップ争いを演じたが、R.ロッシ/W.ガードナーのR.ロッシが115周目に転倒、M.ボールドウイン/F.メルケルが勝利した。
85年の第8回は世界選手権第3戦となり、レースではこれまでにない8耐最高のドラマが展開された。
83年限りでグランプリロードレースを引退したキングケニーこと、K.ロバーツと日本のトップライダー平忠彦がペアを組んだ。資生堂のスポンサーで、男性化粧品の「テック21」がチームの名称、マシンの色にもなった。当然ゼッケンも21。これが国内企業初のワークスチームへのオールサポートの単独スポンサー契約ではなかったかと記憶している。
予想通りキングケニーは速かった。W.ガードナーよりも1秒近くも速いタイムでポールポジションを獲得したが、スタートでつまずき最後尾に順位をさげてしまった。ところがその後の追い上げもキングケニーで、38周目にはそれまでトップのW.ガードナー/徳野正樹と順位を入れ替えてしまう。
念願の首位に躍り出た瞬間だ。このままゴールしてほしいと願ったのは、チーム関係者だけでなくファンの誰もがそう思ったに違いない。ところが何もかもうまくいかないのはレースも同じ。チェツカーまで残り30分、突然平がスローダウン。しかもグランドスタンド前、コースとピットロードを隔てているコンクリート塀に、もたれかかるように止まる21番のマシン。
この瞬間これまで幾度となく、あと一歩の苦杯を味わったW.ガードナーの8耐初優勝の瞬間とともに、8耐のスーパースターとなる4回の優勝記録の出発点でもあった。

初勝利を喜ぶW.ガードナー/徳野ペア。この後ガードナーは4回シャンペンシャワーを味わう。

W.ガードナーのライディングフォームは,無理がなくとてもきれいだ。

一方平忠彦は、90年E.ローソンとのペアで勝利するまで、美酒はお預けとなった。
86年第9回大会は、前年マシンの完成度を増したヤマハのYZF750は、予選から快調そのもの。予選1位はW.ガードナー/D.サロンのRVF750が奪ったものの、2位にはK.ロバーツ/M.ボールドウインが入り、3位は平忠彦/C.サロンのYZF750が続いた。 
中盤までW.ガードナー/D.サロンとK.ロバーツ/M.ボールドウインが接戦を演じるがYZF750 のマシントラブルで戦列を離れていった。
こうなると敵無しのW.ガードナー/D.サロンは、2位と差を2ラップに広げて勝利し、W.ガードナーの8耐初の連覇達成を記録した。
このように毎回熱戦を繰り広げている8耐では、いつヤマハのYZF750は優勝するのか、あるいはW.ガードナーの三連勝は、はたまたポップ吉村氏のヨシムラスズキは、蘇るのかが新たな注目の的になってきた。
87年第10回。8耐直前のGPレースで負傷した平は、ライダーではなくチーム監督として指揮をとったが、首にまかれた包帯が痛々しかった。テック21のライダーM.ウイマー/K.マギーが王者W.ガードナー/D.サロンに正面から挑んだ。
しかしレース展開はまたまた予想を裏切り、予想の立たない8耐ならではの展開になっていった。まずポールポジションからスタートし、首位を走るW.ガードナー/D.サロンは、D.サロンの転倒でリタイア。
その後久々に首位に立ったヨシムラスズキのG.フェロー/高吉は、チェッカーまで残り5分というところで高吉が痛恨の転倒。この結果M.ウイマー/K.マギーのYZF750が、ヤマハワークスとしてテック21は初の8耐優勝に輝いた。この翌年の88年もYZF750は勝利し、ヤマハは連勝を遂げている。
8耐は名実ともにメジャーイベントとなった。華やかになって行く8耐は第3話に続く。
<文/写真:鈴木 雅雄> 

今は昔、大観衆で埋め尽くされた2コーナーを走るK.ロバーツ。ライダーからはどのように見えるのだろうか。

キングケニーことK.ロバーツ。その実力は見事に発揮された。

日本人スターライダーの平も8耐初参加。この後不運もあり初勝利は90年。

当時8耐ならではの写真といえば、この裏ストレートの逆光だ。空気が済んでいた証。
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