常に伴走するクルマから、ウイリーで走行しているかを確認している。
時は1983年12月神奈川県川崎球場。冬の寒い日だったのを覚えています。日本で「スーパークロス」がアメリカからやってきて、前年は後楽園球場で日本初のイベントが開催され人気が出てきた頃でした。
そのスーパークロスにアトラクションでウィリーキング「ダグ・ドモコス」がやって来るから一緒に走って勝負してみないかというお話があり、そこで見た彼の技は衝撃的でした。
スーパークロス用に造られたコースを自由自在に「ウィリー走行」する彼はそれから
の私の目標の一つとなったのです。そこで彼と話をした際、「翌年、自分はウィリー走行の世界記録に挑戦する」というのがありました。その当時は漠然とただそうなんだ、としか覚えていませんでした。
それ以降、トライアル練習の合間「ウィリー走行」する時は彼の描くウィリー走行が頭の中にあり、少しでも近づこうとする自分がいました。
の私の目標の一つとなったのです。そこで彼と話をした際、「翌年、自分はウィリー走行の世界記録に挑戦する」というのがありました。その当時は漠然とただそうなんだ、としか覚えていませんでした。
それ以降、トライアル練習の合間「ウィリー走行」する時は彼の描くウィリー走行が頭の中にあり、少しでも近づこうとする自分がいました。
1990年に世界選手権トライアルへのサポートライダーで参戦、世界のトライアルとその環境に触れることにより「自分に出来ることで世界に挑戦する」という意識が芽生えてきた頃、自分に出来る挑戦は何だろうと考えた時、即座に「ウィリーだ」と思いました。
最初に立てた目標は何処まで走れるか。と考えていたら、記憶の中にドモコス氏が話していたことを思い出し、「ギネスブック」を調べてみたらやっぱりありました。
オートバイの後輪だけによる連続走行距離233km−1984年、USA、ダグ・ドモコスと。そうです、あの川崎球場で私と話した翌年に挑戦すると言っていた記録がここで繋がったのです。
よし、この記録に挑戦する!と決めました。それからは約半年間は「ウィリー走行」に没頭。当時の記録を辿れば練習した全走行距離おおよそ3,000km。
使用バイクはHONDAのトライアルマシンTLM220R。本田技研朝霞研究所のご協力で様々なアイデアを盛り込んだ「ウィリーマシン」にモディファイそしてコース借用、スタッフ手配、スポンサー獲得なども色々大変でした。
みなさん良くご存知のTVCMボンド「アロンアルフア」東亜合成(株)の
ご協賛もいただき、何とか挑戦する準備が出来、茨城県谷田部高速周回路テストコースにてチャレンジすることに。
ご協賛もいただき、何とか挑戦する準備が出来、茨城県谷田部高速周回路テストコースにてチャレンジすることに。
<文:工藤靖幸 写真:鈴木 雅雄>
ガソリンはもちろん、水分の補給もスタッフが走りながらの手渡しだ。
走り始めて331キロの地点で記録は止まり、地面に倒れ込む。
6時間もの間、スタッフは声援を送っていた。
走行中、目をつむったり時には大声を出した事もあったという。
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