2010年6月2日水曜日

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ウィリー ギネス記録達成時のこと 〜 その1(続き)

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すべてから開放されてパドックへ戻ると応援していただいた方々の暖かいお迎えがありました。途中失敗してしまい心配させてしまいましたが、最後は自分も皆さんも笑顔で終れた1日でした。今もこの時も感謝の気持ちは変わりません「皆さん本当にありがとうございました」

そして、1991年5月5日、高速周回路の借用時間は午前5時〜午後5時までの5並び(ホントよ!)でも、スタートは準備等もあり朝8時からでしたね。
午前中、スタートから順調に走行距離を伸ばしていました。この走行時、私の頭の中は「233km」という数字とその記録保持者ダグ・ドモコス氏の顔が常に浮かんでいました。
作戦は走行距離を伸ばす上で体力を温存しながら、トイレ休憩&ガソリン補給(ウィリーしながら)も行い記録達成を狙う予定でした。
しかし、事件はまさにこの時(トイレ)起きたのです。トイレ(ウィリー走行しながら用を足す)が終わり、さて「行くぞ!」という瞬間、浮いている前輪が落ちかけたのです。
原因は同じスピード(平均スピード60km)で2時間ほど連続走行したあとに、トイレの為、急にスローダウンしたことによるスピード感覚のマヒでした。
今でも鮮明に覚えているシーンの一つです。素早く「アクセルを回した」のですが無念の前輪落下。
それまで聞こえていたバイクの排気音が違ったものになった。ほんの数秒後、右横をサポートカーがすり抜けて行きました。何ということをしたのだろう!!!!
自分を責め続けました。
でも時間は巻き戻しできません。スタッフのいる本部へ普通にバイク走行で到着すると応援してくれる方々にただ申し訳ない気持ち、1分1秒でも早く「ウィリー」したい気持ちが出ていました。
30分後再スタートしますとの案内があったようですが、あまり記憶になく今すぐ走り出したいとスタッフに言いましたが制止されました。
再スタート後は作戦変更、とにかく「記録達成」までは何もしない。ただひたすら233kmを超えることしか頭になく、手やお尻がしびれたりしても「我慢」でなく「無視」することにしました。
わかり易く言うと痛い、つらいとかいう言葉を無くす作戦です。燃料も何とかそこまでは無補給で行けそうだし、コース借用時間も何とか大丈夫だから、自分がただ「走れば」頭の中から233kmとドモコスの顔が消えると思って自分に言い聞かせました。
そういう状態での再スタートチャレンジなので、結果の数字は全く予想も出来ないものでした。
そして、6時間38分後、233kmと彼の顔から開放された時は、新しい数字が並んでいました。
「331kmと19m50cm」
すべてから開放されてパドックへ戻ると応援したいただいた方々の暖かいお迎えがありました。途中失敗してしまい心配させてしまいましたが、最後は自分も皆さんも笑顔で終れた1日でした。
今もこの時も感謝の気持ちは変わりません「皆さん本当にありがとうございました。」
最後にとても不思議なことですが、私の生年月日は昭和33年1月31日生まれ
その時33歳で世界1。
今もウィリー出来ます!!!
キックスタート  工藤靖幸

<文:工藤靖幸 写真:鈴木 雅雄>

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