今年で発売25周年を迎えた「ヤマハセロー」。1985年の初夏、奥浜名湖に面したホテルの一室で行われた新車発表会は、それまでになかった雰囲気に包まれた。いきなりスクリーンに映し出された映像は、開発中のセロー225の転倒シーンだった。「我々は転倒しても壊れにくいバイクを目指しました」「二輪二足で自然の奥深いところまでたどり着けるようシート高は低くして、操作性を高めたマウンテントレイルバイクです」。
それまでのマルチパーパス、デュアルパーパスと呼ばれたトレールバイクは、高い走破性を求めて大径タイヤを採用、それゆえの高いシート高。交差点では隣のクルマの屋根を見下ろせる車体サイズ。十分すぎるハイパワーを備えていたので、それなりの腕のライダーにとって、オフロードや林道ではたまらない開放感を味わえた。一方、女性や腕に覚えのないライダーは持て余してしまい、トレールバイクならではの楽しさを味わえるシーンは少なく、もっぱら通勤や通学時などの舗装道路での走行で、その尖った性能と雰囲気を楽しむのがせいぜいだった。
それまでのマルチパーパス、デュアルパーパスと呼ばれたトレールバイクは、高い走破性を求めて大径タイヤを採用、それゆえの高いシート高。交差点では隣のクルマの屋根を見下ろせる車体サイズ。十分すぎるハイパワーを備えていたので、それなりの腕のライダーにとって、オフロードや林道ではたまらない開放感を味わえた。一方、女性や腕に覚えのないライダーは持て余してしまい、トレールバイクならではの楽しさを味わえるシーンは少なく、もっぱら通勤や通学時などの舗装道路での走行で、その尖った性能と雰囲気を楽しむのがせいぜいだった。
そのような中で登場したセロー225は、適度な車体サイズ、低いシート高、51度とトライアル車並のハンドル切れ角などを備え、小柄な人や未舗装路などオフ経験の少ないライダーには、うってつけのトレールバイクだった。口の悪い人からは「女バイク」「初心者バイク」などと揶揄された事もあった。何でもそれゆけの時代だったのだ。
発売してから幾度となくマイナーチェンジが行われてきたが、そのどれもが進化という名の改良だった。派手な変更よりも、細部を煮詰める小さな進化をさせる事に、開発者は努力してきた。裏を返せば思うように開発費をかけられなかったからこそ、アイデアと信念で取り組んできたのだ。とはいえその中で最も大きな進化は、トレールバイクへの国内初のセルスターター装備だろう。これには社内でも異論があったという。当時は今とは異なり、バイクに乗るにはまずエンジンがかけられなくては、という風潮さえあった時代だ。
1985年8月初旬、カリフォルニア州のロサンゼルスから、三台のセロー225をトラックに積み込んで出発した。当時日本でも発売されたばかりで、まだ米国では発売されていなかった。その後アリゾナ州、ニューメキシコ州そしてテキサス州と進みながら、これぞセローワールドという場所でバイクを下ろしてツーリングを楽しんだ。
アリゾナのトゥームストーンではOK牧場の前で撮影していると、パトカーの職務質問を受けた。何かと思えば「見た事が無いバイクだがどこのバイクか」というものだった。乗ってみるかと聞くと「NO」。テキサスのエルパソでは、その昔馬をサルーンの前につないで一日の疲れを癒した気分を現代の機械馬で味わってみた。
<撮影・文/鈴木雅雄JOPPA >
<撮影・文/鈴木雅雄JOPPA >
■セローとは。「二足ニ輪」で、他人と競わず、自分の技術でチャレンジする。時には失敗もするが、友人達の支えで やり切れる 獣道御用達マシン ではあるが、小柄な女性でも足が着き 取り回しも軽く、51度のハンドル切れ角で、渋滞路もすいすい走れる。クラッチやブレーキなど操作系も軽く、燃費も非常に優れ、北海道ツーリングにも沢山の活躍するセローを見れた。当然公道走行は快適だが、トライアル的走りができる多彩なマルチの能力を見せてくれる。でもお値段もいつの時代もリーズナブル。悪戯に材料置換の軽量化や高価格化を嫌い、正攻法で、ユーザーの困っている事を、身の丈にあった手法で解決に取り組んで熟成させて来た。それがセローかと思う。<ヤマハ発動機株式会社MC商品企画部 牧野 浩>
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